映画『セッション』鑑賞。最悪のコーチングだが「役割」はある映画。

映画『セッション』を観ました。

レビュー評価がよかったので、期待して鑑賞。

話の大まかなあらすじは、名門音大に入学したドラマーと鬼教師の狂気のレッスンのお話です。

どのようなレッスンかというと、激しいスパルタ。近年でいうまさにパワハラですね。

罵倒、暴力などは当たり前。一昔前の軍隊形式を思わせます。

観ている途中はイライラするし、現代的コーチングの観点からも最悪。

「この指導法では生徒を潰すだろう」「伸びるわけがない」と思いながら観ていました。

しかし、この映画の「役割」は着実にあると断言します。

特に部下を持つ上司や社長、選手を指導する監督やコーチ、生徒を持つ教師、親など、何らかの指導する側の立場の方は観た方がよいでしょう。

なぜ?

近年のパワハラ指導の危険性を「極端」に表現した作品だと考えるからです。

人間は都合の良い生き物で、例え、パワハラ的な指導をしていたとしても「まさか自分がしている」とは気づきません。

誰かに指摘されたとしても「これが自分流なんだ」と開き直るでしょうし、そもそもそういった言葉は耳に入らなくなります。

脳機能学者の苫米地英人氏に言わせれば「スコトーマ(盲点)」となり、より一層、パワハラ指導を強める情報しか入ってこなくなるのです。例えば、「巨人の星」のような作品ばかりが目に入るなど。

そうして、「過度」な域まで達して、はじめて「間違っていたかも」と気づくのです。指導相手が自殺したりうつになるなど。

だからこそ、本作品は役割があるのです。極度なパワハラ指導のやり過ぎをあえて「強調」しすぎることで、そのような盲点に囚われている人たちの脳に入り込むことが可能となるのです。

毛色は全く異なりますが、最近流行となった「ボヘミアンラプソディ」。この作品を通じて、初めてフレディマーキュリーやクイーンズを知った人もいるのではないでしょうか?

そう。映画が売れることで、ふだん、そのことを知りもしない、考えもしない人の脳内に入りこむチャンスが生まれます。

本作品は感情的には見るに耐えない映画ですが、パワハラの恐れがある人たちの盲点を突き破るという意味でも、とてつもない重要な「役割」を果たしていると考えます。

ただし、気をつけなければならないのは、逆に「この指導法で合ってるんだ」と誤解した解釈をする人も一定数いるであろうことです。もしくは、生徒側や選手側が「やはり度を越した練習こそが大事なのだ」や「根性論肯定」と解釈してしまうなど。

映画や文学作品などは、残念ながら、観る人の解釈に委ねられるという悲しい宿命を持っています。この点は人間という生き物の性質上、やはり致し方ないといえるでしょう。

しかしながら、そのような人たちと「ディスカッションのきっかけになる」「社会問題に一石を投じた」という意味で、本作品は非常に重要な役割を担っていると考えます。

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