ブラックボックス展、レポートつづきです。

書こうかどうか、非常に迷いました。が、一応、期中にレポートを書いた手前、書く責任も多少あるかと思い、悩みに悩んだ結果、書くことにしました。

ただ、やはり、文章で伝えるには限界があります。
文章で語れば語るほど、より一層、「陳腐」化して逆に伝わってしまうのではないかと。

例えば、映画を観た時に、自分が面白いと思っても、人によってはつまらないという評価を得たりします。

旅でもそう。同じ場所を訪れても、楽しいと思う人もいれば、つまらないと思う人もいます。
小説や漫画、食事でも同様です。スポーツでも音楽でも。

その人の「性格」にもよりますし、その時の「感情」や「状況」によっても、感じ方は大きく異なります。

同じ本を読んでも学べる人と学べない人がいたりします。

いわば、「一人一宇宙」なのです。

宇宙は一つではありません。その人によって「宇宙」は違うのです。

そして、「ブラックボックス展」ですが、まさに、その人の「宇宙」「脳のパラダイム」「本質」が表面化してしまう大変興味深いイベントでした。

ブラックボックス展では、様々なことを書く人がいます。読んでいて非常に面白いです。

怒りを感じる人は、日頃から怒るパラダイムを持って生きている人。

恐怖を感じる人は、日頃から恐怖を感じるパラダイムを持って生きている人。

不安を感じる人は、日頃から不安を感じるパラダイムを持って生きている人。

スケベ心を持った人は、日頃からスケベ心のパラダイムで生きている人。

イベントを行く前から「否定」「評論」する人は、やはり、何事に対しても、そのように考えてしまう人です。

中に入れなくて弾かれて、「そのもの」の評価を下げることで、自己評価を保とうと必死になる人は、やはり、得られなかったことに対してそう評価してしまう人です。ルサンチマンともいいます。

「日頃から考えてることが浮き彫りになってしまう」

ブラックボックス展は、非常に面白いイベントだったといえます。

では、私はどう感じたのか?というと、行く前の調査も「商品」「作品」として、想像を膨らませて楽しかったですし、2時間の行列の間も良い「瞑想」の時間でもあり、「思索」の時間でもあり、「読書」の時間にもなり、有意義でした。

情報化社会の昨今、「2時間」の有意義な時間を捻出することは大変です。それをくれたイベントでもあり、その時間の大切さを教えてくれたイベントでもあったわけです。

「入り口で弾かれたらどうしよう」

と思いながらも途中で「あきらめる=明らかにする」ことのいい意味での開き直りの大切さも学ぶことができました。

それから、中に入ってみたら、「先の見えない恐怖」にドキドキワクワクできましたし、そこから「冷静さの取り戻し方」も体験できましたし、「周囲の観察」によって、様々な人間がいることも学べました。

また、会場を出た後、今日、「ネタバレ解禁」になってからの人々の「反応」「思考」を見ることで、「ああ世間はこう考えるんだ」と非常に勉強になりました。

あと、女性は本当に大変な中、生きているのだなとも感じました。女性にとってあの暗闇は恐怖でしょう。結構、痴漢があったようです。実際バカがおれのおっぱいをつついてきたりもしましたし。ただ、女性は「そういう世界を生きているのだ」ということを自覚できる機会としても捉えられるかもしれません。

ネットのコメントを見ると「セキュリティちゃんとしろよ」とか「警備員を配置しろよ」など、「もっと安全面に配慮しろ」などと否定的な書き込みがありました。

が、そもそも、その考えこそが「甘え」なのです。世界とはそういうもの。一種の平和ボケです。男女関係なく。「誰かが守ってくれる」といった、どこまでも甘えた考え方です。この世に完全なる安全地帯などありません。

そういった「リアリティ」を持った上で、私たちは生きていかねばなりません。「自力本願」「自灯明」です。自らの足元は自らで明るく照らしていくもの。誰かに照らしてもらっては自由など得られないわけです。

中には、ダイアローグインザダークなど、他のイベントでも味わえるという書き込みもありましたが、「保護」された環境であり、「ネタ」が予測できる時点で、今回のブラックボックス展のような体験、思索はできません。

「まったく展開が読めない」「保護されていない環境」だからこそ、意味があるイベントなのです。
まさに「人生そのもの」がそうです。人生には先の読めないことばかりです。理不尽も多々あります。努力したからといって、必ずしもゲインやリターンがあるとは限らないのが世の中です。

それと向き合うきっかけとして、このブラックボックス展は非常に良い機会だったと言えます。

残念ながらもう同じような次はありません。

しかし、似たような「機会」は、人生を生きていれば、常にあります。「今」「ここ」この瞬間にも。
それに気付くかどうか、それはあなた次第です。

なんとか拙い文章で、解説を試みましたが、それでもやはり、陳腐化してしまうことに責任を感じつつも、それはそれで、また感じる人によって得るものはあると思いこのまま投稿しておきます。